しおこしょう

ジャニーズについて残しておきたいこと

イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー〜パパと呼ばないで〜 中間ミーティング

1996年に渋谷に開通した埼京線のホームは、その大きな敷地の中にある数多くのホームの中で一番端に位置する。動く歩道を渡って改札まで向かうなんて他ではないだろうし、その間に本屋もあるので長旅のお供として漫画も買えたりするのだけど、何が言いたいかと言うとつまり、渋谷はめちゃくちゃ遠くて面倒くさい。そんな渋谷、PARCO劇場へ通い始めて15日が経ちました。足を運ぶ理由はただ一つです。

「イットランズインザファミリー〜パパと呼ばないで〜」が9月20日から公演されています。塚田くんがA.B.C-Zを飛び出して、立ち向かっているコメディ演劇です。
レズリーという男の子は、劇中では「半狂乱」「情緒不安定」「パンク少年」「中肉中背」「茶色の目」「ハンサム」「小さなお荷物」「かわいい孫」「立派な青年」など、いろいろな言葉でその姿を表されています。そのどれも、塚田くんが演じているレズリーくんなのですが、それは塚田くんではなくまさしくレズリーであり、でも間違いなくどこか塚田くんなのです。

ストーリーですが、レズリーという突如現れた息子を軸にして、誰かに何かがバレないように、色んな人が嘘に嘘を重ね翻弄されながらも、最後は優しい嘘が幸せに導く、というひたすら笑えるハートフルコメディです。イギリスらしく、シニカルな笑いも織り交ぜながらドタバタと様々なキャラクターが走り回ります。

誕生日によかれと思っていきなり真実を知らされたレズリーは、ショックのあまり半狂乱で仮免のまま家を飛び出します。色んなものをなぎ倒し蹴飛ばす過程には、大切なママと自分を捨てた父親への恨み半分、ほんとうは父親は生きていて積もり積もった話ができる喜び半分、だったのかなぁと思います。最初はずっと、豚野郎ぶん殴ってやる!と威勢がいいのですが、本気じゃねぇよぉとすぐに泣きながら吐いているので、ただただ威勢よく酔っ払わねばならなかったのだと思うと、レズリーくんの心中はとてもしっちゃかめっちゃかだけどまっすぐに家族を欲していたのだ…と思ってしまいます。
「ばあちゃんに巡り会えたと大喜びだ!」というボニー先生のセリフの時、会場がいつも笑いに包まれるのがすきです。レズリーのことを、みんなが、「純粋な家族愛を持つ男の子」として見ているような気がして、あの瞬間はとても愛に溢れていると思うのです。まぁ面白いから笑うのだけどさ!
それから、レズリーがパパがヒーローだと知った時の喜びと、ほんとうのパパは牧師で痛風持ちでイボ痔で時々口が悪くて何かと自分を談話室から追い出そうとする奴なのかも…?という可能性を見つけてしまった時のやり場のない気持ちが、言葉に乗ってくるのがすごく好きです。
言葉が生きてるなって感じがします。
塚田くんの演技の良し悪しは私には分かりませんが、塚田くんの発する言葉や体当たりの表現に、心を掴まれていることは確かなんです。塚田くんってこんなことが出来るんだ。知らなかったとか気付かなかったとかではない、でも絶対的に掴まれることが少なかった部分をいまこの期間中ずっと鷲掴みにされてるので、正直私もレズリーくんと同じぐらい毎日吐きそうです。幸せかよ!!
えび座のときはその片鱗だったんですよね。

お話の結末は、優しい嘘です。喜劇は往々にして悲劇と背中合わせ、だったりしますが、この喜劇はパンフレットでも役者の方々が仰ってるように「笑劇=ひたすら笑いに包まれる劇」。
ブルーの目の2人から、茶色の目のレズリーは生まれない、という現実である事実に、レズリーはいつ気付いてしまうのか。それは悲劇ではないのか。と、考えてみたんですが、ここからは私の憶測という名のこの舞台を見る上での軸です。そもそもテイトもボニー先生もミセスボニーも、みんな分かってるんですよそんなことは、ローズマリーに言われなくても。大いに満足している、の辺りからミセスボニーの顔つきも変わってくるんです。パパもママもばあちゃんも、もう決めたんです、レズリーを息子であり孫であるとすることを。
レズリーも、個人的にですが、モーティマーへの反抗(こんなやつ親父なんかじゃねぇ!)を見せたときに、気付く、とまでは行かなくても、明確にボニー先生が父親がいいんだ、父親であれ、という希望を含んだ態度を取っている気がするんです。気付いたところでレズリーは幸せになれない。深いところをレズリーが考えているとは思えませんが、レズリーにとってはママを放ったらかしにしたクソ親父、も大切ですが、これからその時間を埋めようとしてくれる家族という形、の方がずっと大切で、ずっと必要なものの気がするんです。
結局のところ、血は繋がってないしレズリーの求めていたお母さんを捨てただけど勇敢なパパ、という人はどこにもいないのだけど。いないのだけど、嘘は優しくみんなを包んで、最後まで守ってくれるのだと思います。私はこれがのちに悲劇を生む可能性を含んでいるものには到底思えません。「It runs in the family=そういう血が流れている」なので、もちろんモーティマーとレズリー、テイトとレズリー、ボニーとミセスボニーの家族という形を持つものにしか本来当てはまらない言葉ではあるけど、同じ嘘を共有したみんなに当てはまるものでもあるのかなと思いました。家族という形を成した他人なんですけど、間違いなく家族なんですよ。そういう気持ちで、このタイトルを持つコメディを観ることで、さらにあたたかい気持ちが増しています。

初めの話に戻りますが、レズリーなのにどこか塚田くん、なのは、役との対話なのだと思っています。自分の演じるキャラクターに問いかけることだったり、バックグラウンドを考えてみることで深みが出てくると思うんですけど、というか役者ってそういう職業なんですよねきっと。塚田くんにとって、名前のある、そしてキーパーソンである、場をかき乱していく、本当に大事な軸の役っていうのはチェリーズを除けば初めてだと思います(ドラマと舞台ではまた違うので)。
塚田くんの隣にレズリーが腰掛けている気がする。いつだって、じゃあな!俺ママんとこ帰るから!っていってるレズリーの腕を掴んで、いいじゃん、せっかくなんだから、もうちょっと遊んでこうよ!と塚田くんが引き止めてる。妄想ですけど。でもきっと対話を繰り返しているから、塚田くんの中にレズリーが見えて、レズリーの中に塚田くんが見えるようになるのだな…と最近はしみじみ思います。間違いなく医師談話室の中にいるのはレズリーだけどさ!!!

公演を重ねるこのとに、お客さんもですが、演者達のこの舞台への探究心と愛着が増してきている気がします。今週の火曜ぐらいから、なんかぐわっと。東京公演は残りわずかです。たくさんの愛につつまれて、レズリーくんが幸せになれますように。塚田くんも、渋谷の街で力いっぱいがんばってください!